広島はそもそも日本酒造りに適した土地ではありませんでした。 古くから日本酒の名産地と称され、全国から杜氏が集まって日本酒の製法を学んだ兵庫の灘・京 都の伏見。広島の杜氏も灘・伏見で製法を学んで広島で醸造しましたが、同じような美味しい酒 は造れませんでした。酵母が途中で止まって腐酒となってしまうのです。
広島の酒を全国の酒蔵に押し上げ、吟醸酒造りの基本となった「軟水醸造法」の醸造法
1、米を磨く
2、麹を育てる
3、長時間醸造
広島の水は当時の日本酒造りには適さない軟水だった。その軟水で美味しい酒をどうやって作るか?その難題にこの四人の偉人が取り組んだ結果、全く新しい日本酒=吟醸酒が誕生した。
「橋爪 陽」
吟醸酒作りの職人(三津杜氏)の養成と地位向上に尽力し足り、自らも醸造技師として酒米の開発を行い、広島 の酒の品質向上に貢献しました。
「佐竹 利市」
機械エンジニアの彼は日本初の動力精米機を発明しました。吟醸酒に必要な米の磨き (Polishing)作業の機械化に成功し、第1号を「賀茂鶴」に納入して吟醸酒の量産に貢献しました。
「三浦 仙三郎」
吟醸酒の産みの親であり、日本酒の製造に適さないとされた広島で、その原因が軟水にあることを突き止め、温度や湿度を管理する為の実験を重ね、明治31年(1898年)に軟水による改良醸造法である「軟水醸造法」を完成させた。
「木村 静彦」
大資本を投じて賀茂鶴酒造株式会社を設立すると共に醸造技術者養成所として⻄條酒造学校(現:福美人酒 造)を創立するなど、仙三郎が開発した「軟水醸造法」による吟醸酒を世に広めるために尽力しました。
1907年に日本で初めて開催された日本酒品評会で、仙三郎による軟水醸造法で作られた広島の新しい吟醸酒が上位を独占した。最優秀(全国第一位)は安芸津の隣町・竹原の藤井酒造で、全国第2位は倉橋島の林酒造。安芸津の柄酒造も 代表銘柄の「於多福(おたふく)」が入賞した。